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2015年10月4日(日) 広島発・東方帰還の旅(2)


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2015年10月4日(日)11時58分



列車は大阪駅に到着。
今日はここで途中下車してみます。





広島を早朝に出てから6時間強、ちょうど正午に大阪駅まで来ることができました。
ここまでの乗車距離は約330km、残りは500km以上。
先はまだ長いですね・・・。

せっかく古巣の大阪に降り立ったので、駅の外に出て観光してみます。





梅田のHEP FIVEの観覧車。
これを見ると、大阪に来たと言う実感がありますなぁ。

懐かしい感慨にゆっくりとふけりたいところですが、今はまだ夜まで続く旅の途中。
とりあえず、昼食だけはしっかりと済ませておくことにします。





大阪駅の桜橋口から出て進んだ、梅三小路にあるラーメン屋。
大阪在住だったときに何回も来た店でもあります。
あっさりスープの醤油ラーメンは・・・やっぱり旨い! 
何気に、メンマ食い放題が嬉しい!(ラーメンがメインなので、そんなに食べないけど)

ここは一丁、大盛りプラス替え玉を注文!





・・・何か、フツーに替え玉が2つ来た感じですね。
まぁ、麺がたくさん食べられれば良いか。
むしろ心配なのは、スープが足りなくなってしまうことなんですけどね。

懐かしい味で満腹になり、満足して店を出ました。





店の近くにあるビリケン像。
数年前まではこんなの無かった気がする・・・。

何の歴史も無くとりあえず作った的な像なのに、「賽銭箱」があるのが卑しい感じですね。
もちろん、何の寄付をすることもなく、素通りしてきました。





桜橋口近く、大阪中央郵便局。
以前は古い造りの建物でしたが、大改築を経て、新たな装いで営業再開を果たしたようです。





大阪駅の桜橋口。





梅三小路から、桜橋口を望みます。
あぁ、何と懐かしい光景だろうか。
派手なランドマークより、こういう「通った者には分かる光景」に再開した時に、感慨にふけってしまうものです。

・・・と言っても、本当は一週間前に同じ場所へ来ているのですけどね(2015年9月26日の旅日記の終盤参照)。





梅田名物、大阪丸ビル。
以前(2003年まで)には、屋上に円形の電光掲示板があり、その日のニュース等が流れていたのですが、現在では撤去されており、今では一部に気温表示などがされるのみとなってしまいました。

梅田駅前で信号待ちをしている間に見上げた、丸ビルの電光掲示板・・・。
もう戻らない、昔の思い出です。





大阪駅概形と、大阪環状線の車両と、左奥に梅田スカイビルの図。





大阪の中心地にて、道路を挟んで凌ぎを削りあう、阪急と阪神の両百貨店。
私は阪急電車にお世話になりっぱなしで、阪神電車に乗ったのは、片手で数えられるほどしかなかったなぁ。





その、お世話になった阪急百貨店の様子を見に行きます。
写真は、大阪駅側から阪急梅田駅に行く際に渡る交差点。
大阪住まいの人には、おなじみの光景です。





多くの人々で賑わう、阪急百貨店。
私が大阪を出る直前くらいから大規模改修が始まり、数年間を経て、写真のような新しい装いとなりました。
真新しさの中にも、どこか大正時代を思わせるようなデザインや色使いを感じさせるあたり、品の良さ・センスの良さを感じずにはいられません。





大改築には反対の声もあがったようですが、有形物はいつか無くなってしまうもの。
それまでの歴史に敬意を表しつつ、新たな歴史を長く刻んでいくことが重要だと思います。





阪急百貨店側から大阪駅へ至る横断歩道。
新しくなった大阪駅周辺の散策を終えて、東方帰還の旅を再開します。





大阪での滞在、ほぼ1時間。次なる目的地へ向かいます。





大阪駅からは新快速に乗車し、米原駅まで向かいます。





ヨドバシカメラ梅田店。
最初、秋葉原にヨドバシカメラができたときには、この梅田店と酷似していてびっくりしたものです。





大阪駅を出発してすぐに、淀川を渡ります。





そして見えてきた、新大阪駅。
ここから新幹線に乗り換えれば、2時間程で横浜にたどりつけますが・・・もちろんそんな事はしません。





大阪から30分程で、京都駅に着きました。





この京都駅舎は20年ほど前の大改築により、近代的な巨大建造物に生まれ変わりました。
私はこの駅であまり下車したことがないので、いずれゆっくりと散策したいものです。
(その後の駅舎レポートについては、2016年10月8日の旅日記を参照)





京都を離れ、列車は滋賀県に入りました。





大阪から1時間強で、終点の米原駅に到着しました。





ここからは各駅停車に乗り換えます。
大阪に住んでいて、鬼ヅモ同好会合宿に参加した際には、何十回とこなした行程です。





滋賀ー岐阜県境の山岳地帯を走行します。





途中の垂井駅。
この駅が、後で重要な意味を持ってきます。





終点の大垣駅に到着。





大垣駅のホームの片隅には、「410」と書かれた柱があります。





これは、東京駅を基点とした東海道本線の410km地点を表すものです。
ちなみに、東京駅から在来線の普通列車を乗り継いだ場合、7時間前後かかります。
(もちろん、接続の仕方にもよりますが)

それにしても、「1万円札を縦に並べますと、256万2500枚並ぶ長さになります。」という引き合いの出し方は、何の意味があるんだろうか?
それだったら、「1周200mのトラックを2050周する長さになります。」の方が、何となくイメージわき易いような気もします。





大垣駅舎。
そういえば、この駅は何十回と乗り換えに使用していますが、改札の外に出たのはこれが初めてですね。
当駅は鉄道乗りの間では、快速「ながら」の終着駅として有名です。
「ながら」を東京側から乗車すると、朝5時前に大垣駅に到着し、次の列車まで途方にくれる、というのが「青春18きっぷ」の時期の風物詩となっています。

ちなみに、私は「ながら」を利用したことはありません。
今後も・・・多分利用しないと思います。
私の場合は日中の鉄道乗車の日程が過酷なので、夜中に普通シートの常灯で走る当列車に乗るのは、体力面で厳しい感じがします。
人間、長く続けようと思ったら、無理は禁物です。

さて、ここで東方帰還を一時中断し、この近辺の短距離路線の乗りつぶしをこの機にしておきます。





こちらは、東海道本線の美濃赤坂支線のホーム。
美濃赤坂支線は、全長5km、たった2駅の路線です。





列車は、岐阜県の田園地帯を進みます。





7分後、終点の美濃赤坂駅に到着しました。
こういう短距離路線こそ、今回のような他の旅のついでに乗りつぶしておきたいものです。





当駅では、折り返し出発まで16分の時間があるので、駅周辺の様子を見に行ってみます。





美濃赤坂駅舎、ホーム側からの風景。





この駅には、無料のレンタサイクルもあるようです。
・・・でも、この辺りで行きたいところって特に無ぇなぁ。
周辺には神社仏閣が多くあるようですが、あまり興味無いし・・・。

何か訪れるような場所が見つかったときのために、覚えておこうかとは思います。





駅の外に出てみます。





美濃赤坂駅。
昔ながらの木造建築の、趣ある駅舎です。
駐輪場が併設されており、地元の人の足として利用されていることも伺わせます。





駅の車止め方向から見る列車。





なお、この駅には昔使われていた、貨物用のホームも残されています。





駅の近くでは石灰岩が採れ、それを運ぶための鉄道路線として、美濃赤坂支線が開通したという経緯もあります。
その主な役割を終えた今でも、美濃赤坂駅には当時を思わせる施設が残されています。





終着駅らしい雰囲気を堪能したところで、折り返しの列車に乗車します。





途中の荒尾駅。





そして、大垣駅に戻ってきました。
これにて美濃赤坂支線の乗車、終了。

さて、寄り道はこれで終わりと思いきや、もう一つ乗っておくべき路線があります。





それは、大垣ー関ヶ原間にある、東海道本線下りの「新垂井線」。
下りのみが垂井駅を迂回する経路となっている、ちょっと特殊な区間です。





それでは、大垣駅から快速に乗車し、関ヶ原方面(東海道本線下り方面)に乗車します。
これで垂井駅を回避し、次は関ヶ原駅に到着するはず。

・・・しかし、
車内アナウンス「次は、垂井、垂井駅です。」

・・・アレ? 普通に上り方面と同じく垂井駅を通るじゃん。

そこで、インターネットで詳しく調べてみると・・・
何と、この新垂井線は東海道本線の下り
特急列車しか通ることのない路線だと分かりました。
(他にも貨物列車が通りますが、「旅客」に限れば特急のみ)





そもそも、この大垣から関ヶ原へ向かう区間は山岳地帯であり、登りの勾配が大きい場所です。
今でこそありふれた坂ですが、蒸気機関車で運行していた頃は、この区間だけ蒸気機関車を増結していたようです。
そこで、速達性や輸送力の強化のため、勾配を小さくした「新垂井線」を作り、下り列車(坂の観点で見れば「登り」)のみそちらを運行することとなりました。

その後、より動力の大きい電車が走るようになると、勾配の大きい坂でも平気で登れるようになったので、下り普通列車に関しては、垂井駅を経由する元の路線を走るようになりました。
しかし、この元の路線は古い路線のため速度制限がある等の理由で、特急列車や貨物列車は新垂井線の方を走り続けている、ということのようです。
また、新垂井線上には「新垂井駅」がありましたが、山中にあって利用客が著しく少なく、廃駅となっています。

特殊な運行形態に鉄道の歴史あり。
何十回も通っている場所も、深い事情があってこその複線だったのですね。


それはさておき、今から大垣駅に引き返して、改めて特急列車に乗る時間は今日はありません。
という事は、今回はこの「新垂井線」を乗りつぶすことができませんでした。
ただ、この区間は今後何回も通る場所ですから、その時にきっちりと
特急に乗車し、リベンジを果たそうと思います。





そんなこんなで、不必要に下車することとなった関ヶ原駅。





関ヶ原駅はその名の通り、1600年に起きた「関ヶ原の戦い」の古戦場近くにあります。
写真の両陣営勢力表も、この駅を行き来するたびに目にする名物の一つです。

さて、新垂井線の乗車を諦めたところで、今日やるべき事は自宅に帰るのみ、となりました。
東海道本線の区間は何十回と通っているので、あとはダイジェストで進みます。

関ヶ原駅からは、折り返しの東海道本線上りに乗車し、垂井駅を経由して大垣駅に到着。





大垣駅からは、新快速の豊橋行き列車に乗車します。





途中、名古屋駅を通ります。





完乗の旅では名古屋周辺であまり下車していないのですが、そのうち何回も利用することになるでしょう。





豊橋駅に到着。





ここからは各駅停車で浜松駅まで行きます。
この区間にある浜名湖の景色は、もう日が沈んでしまったため、見られませんでした。





浜松駅到着。





ここからは、鉄道初心者にはツラい、魔の静岡区間。
私にとっては、いつもの休息区間ですけどね。





165分間かけて熱海駅に到着。





最後は、東京行きの列車に乗ります。





23時11分、本日のゴールである戸塚駅に到着しました。

今日は、広島からひたすら帰ってくるという旅でしたが、良い景色を見られたり、懐かしい光景を目の当たりにしたり、細々した路線の完乗ができたりと、充実した一日でした。
今回の旅自体も、ミサ参拝と完乗の旅をうまく融合し、無駄の少ないものにできたのではないかと思っています。

さて、今後の完乗の旅ですが、来週末と再来週末にそれぞれ予定しています。
このところ、休みの日はほぼ全て完乗の旅に費やしているのですが、気持ちは非常に充実しています。
次はどんなところへ行き、どんな列車に乗れるのかを考えると、早く次の旅に出たい気持ちになってきます。

今後とも、様々な場所へと旅をして、様々な旅日記を更新していこうと思います。





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